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森田忠明事務所

Author:森田忠明事務所
「玉鉾書院」(志士遺文・和漢古典等の学舎)を運営。機関誌「季刊ゐしんぴあ」発行。また「日本歌壇」(定例歌会毎月開催、会報「日本歌壇」)、「國民行動」(在野有志活動網 機関誌「國民行動」 、國風講座(國民行動主催)、「玉鉾奉仕団」(皇居勤労奉仕団体)、「大詔奉戴祭」「天長節を祝ふ会」の事務局担任。nippon@plum.plala.or.jp  http://ishinpeer.jp(準備中)
(写真=北岳より望見する富士)

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獨酌舒嘯

森田忠明事務所 【社稷廓清 草莽崛起】

■ 自助自彊の気概(上)

             
    自助自彊の気概(上)
  
         ── 改 稿 ──
 
            

ヤルタ密約の呪縛
 
 
北方領土問題がちかぢか解決し、いよいよ晴れて日露平和条約が締結される見通し──かく日本国民多くの手放しのよろこびやうは奇怪千万。この安部トリック、領土返還と称して酷な手を使つたものだ。
 わが国がソ連に掠め盗られたのは北千島と南千島(所謂固有四島)それに樺太の南半分であること、元来疑ふ余地はない。島島の歴史をざつと振り返つてみよう。
 幕府時代の安政元年(一八五五)、日露両国は下田条約によつて北千島の得撫島と択捉島のあひだを国境線と確定し、樺太はそれまでの仕来りどほり両国人混在の地として残された。ついで明治八年(一八七五)の樺太千島交換条約締結により北千島諸島を日本領、樺太を露領に。日露戦後のポーツマス条約では、その南半、北緯五十度以南を割譲せしめた。条約また歴とした国際法であつて、締約国の行動を拘束する。
 これを蹂躙したのがソ連の対日宣戦布告と全北方領土の占拠である。わが国が北千島と樺太南部を放棄したサンフランシスコ平和条約締結時、それらは、米英と約したヤルタ密約を口実にソ連に軍事占領されてをり、早期独立を熱願する敗戦日本としては抗ひ得ぬ立場にゐた。いまなほ帰属未確定であるのは地図上、白く塗られてゐることから察しられよう。
 北方四島を「固有」と称するのは安政条約を根拠とする。この固有四島のみの返還主張は、侵略ソ連の世紀の非道に目を塞ぐもの、ひいてその蛮行の暗黙裡の正当化に加担するものでしかないことを、この際知りおかねばなるまい。
 他国領土取扱ひの原則につき、米英ソがいかに虚偽の宣伝をしてきたかは、以下の文言にみて瞭然としよう。
 昭和十六年八月、ルーズベルトとチャーチルが調印した「大西洋憲章」は、彼らが戦後の世界構想を描いた八項目中、「合衆国と英国の領土拡大意図の否定」「領土変更における関係国の人民の意思の尊重」を実しやかに謳つた。
 米英支首脳が同十八年十二月に対日方針に絡んで発出した「カイロ宣言」にいはく、「三大同盟国」は、
 ──自国ノ為ニ何等ノ利得ヲモ欲求スルモノニ非ス又領土拡張ノ何等ノ念ヲモ有スルモノニ非ス。
 このやうに、表面的には正義面を演出しはしたものの、米英ソ三国外相による「モスクワ会談」(同十八年十月)において、米国務長官ハルがソ連外相モロトフに対し、千島列島・南樺太をソ連領とする見返りに対日参戦を求めたり、米英ソ首脳が集つた「テヘラン会談」(同十八年十一~十二月)では、スターリンが、ドイツ降伏後に対日参戦する見返りに「南樺太と千島の引渡し」をルーズベルトに望んだりしてゐる。ルーズベルトが断乎拒否したとの資料は見当らない。
 それもそのはず、ヤルタに米英ソ三首脳が鳩首した同二十年二月、三国間で日本領土を分捕る「秘密協定」を結ぶのであるから。ドイツ降伏後二~三箇月後に中立条約一方的破棄後のソ連の対日参戦と、全北方領土のソ連への引渡しとを不離一体とし、米英は進んで承認した。
 かかる経緯あるところへ、のち日本が受諾するに至る昭和二十年七月の米英支三国共同宣言たる「ポツダム宣言」、その第八項には、
 ──「カイロ」宣言ノ条項ハ履行セラルヘク…。
 とあつて、またぞろ「領土拡張の念なし」を吹聴するのである。ソ連がポツダム宣言への参加を表明したのは、対日宣戦布告をする同八月八日であるが、両国中立条約は翌昭和二十一年四月まで有効であつた。
 カイロ宣言はたしかに日付が記されず、三首脳の署名もなされてゐないため、効力を疑問視する向きもある。とくに台湾独立派がその無効を主張する。「台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還」とある大国の恣意により民族自決権が無視されたと。こんにち、中華民国と中華人民共和国とのはざまで翻弄を余儀なくされてゐるのは周知のところ。
 わが国の場合、結局は全千島と南樺太を盗られたまま戦後七十余年を閲し、なほ正義の履行おぼつかぬ状況下に呻吟してゐるのである。戦争に敗れたのだから致し方ないといふものではない。
 ソ連(及びロシア)は、わが領土の領有を正当化する根拠を一貫してヤルタ密約に置いてきた。しかしそれは、被害当事国日本のまつたく与り知らぬ連合国首脳同士の軍事協定といふべく、さうした順当な条約でなく国際法にもあたらぬ代物に拘束されるいはれは毛頭ない。わが政府も平成十八年の国会答弁で「拘束されない」としてはゐる。
 米国上院はすでにしてサンフランシスコ講和条約の批准時、ヤルタ密約を承認事項から除外してゐるし、昭和三十一年、アイゼンハワー政権もその無効を発表、平成十七年には大統領ブッシュ(子)が「ヤルタ会談は史上最大の過ちの一つ」と非難してみせた。チャーチルまた密約協議に関し、米ソ主導の蚊帳の外に置かれてゐたと自己正当化を試みてゐるが、無法に与した挙句の最も醜い弁明だ。
 米英ともに、スターリンの北方領土占拠に最終的にお墨付きを与へたのだ。これを強行せしめたルーズベルトとチャーチル、その罪は免れがたく、従つて米英の責任また重い。この両国、不法かつ没義道の行為を働いたと自嘲するわりには、罪滅ぼしのために日本に代つてロシアを最大限糾弾し善処したか。憤ろしや、その証拠には未だ接してゐない。領土奪還への方途策定、抜かりなき念入りを要する。(森田忠明記)



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