HOME プロフィール

森田忠明事務所

Author:森田忠明事務所
「玉鉾書院」(志士遺文・和漢古典等の学舎)を運営。機関誌「季刊ゐしんぴあ」発行。また「日本歌壇」(定例歌会毎月開催、会報「日本歌壇」)、「國民行動」(在野有志活動網 機関誌「國民行動」 、國風講座(國民行動主催)、「玉鉾奉仕団」(皇居勤労奉仕団体)、「大詔奉戴祭」「天長節を祝ふ会」の事務局担任。nippon@plum.plala.or.jp  http://ishinpeer.jp(準備中)
(写真=北岳より望見する富士)

最新記事 最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ カテゴリ

獨酌舒嘯

森田忠明事務所 【社稷廓清 草莽崛起】
2011年02月の記事

《風簷詠懷》 ひさびさに

 

 [晨風夕影賦 二月盡

 

ひさびさに淸酒(さけ)をあぢはふ傳記よむ子らも靜かに木芽月(このめづき)つく

 

 

 

《風簷詠懷》 溷濁の

 

 [忼槪傷懷賦] 世相   

 

溷濁(こんだく)のそこひなき世をゑらゑらに渡るも一生(ひとよ)ほとほるもまた

 

 

 

《風簷詠懷》 あかるさの

 

 [晨風夕影賦 白梅   

 

あかるさの日毎くははる野阜(のづかさ)にまなこまづ惹くしら梅の花

 

 

 

教育勅語の現代的意義 (3)

 

 二、独立自尊の大宣言

 

 この教育勅語渙発の社会的背景について、昭和期の児童文学者である山中峯太郎が昭和二十七年に著はした『愛の国父 明治天皇』といふ書物に時代の雰囲気を伝へる記述が見えます。大阪出身の彼は陸軍士官学校を卒業し、陸軍大学校を中退後、朝日新聞社通信員として支那に渡り孫文の革命軍に参加するなどしました。その後、少年冒険小説作家として活躍し、著書には有名な『敵中横断三百里』、『亜細亜の曙』などがあります。

 勅語渙発のとき数へで七歳だつた山中峯太郎の感想を引用しておきます。
 「実に偉大な天皇を、ぼくたち日本人は明治時代にもつてゐた。
 徳川時代の終りに、アメリカロシアイギリスフランスなどの外国からせまられて、日本は今まで閉ぢてゐた国を開き、外国と交際しはじめ貿易もはじめた。このために、外人も外国の物も、ぞくぞくと日本にはひつてきて、明治時代になると、外国の思想が日本人の気もちをはげしく動かした。今までの日本人の道徳が、そのためにみだれて、国民の多くがアメリカ風やヨーロッパ風にかぶれ、考へ方もむやみに変はつてくると、
 『おれたちは、いつたい、どうすればいいのだ』
と、迷ふ者も急にふえてきた。
 日本道徳の危機であつた。道徳がほろびかけると、そのものはよわくなり、国民は不幸になる。道徳は幸福の元である。
 明治天皇は、これを心配されて、日本人道徳の大本を、教育に関することばによつて、希望と共に示された。迷つてゐた者は、天皇のことばによつて日本の本からの精神を知るやうになり、みだれてゐた道徳も、やうやく立ちなほるやうになつてきた。
 この天皇のことばが、国民に示されたのは明治二十三年であつた。外来の思想による日本の国難は、やうやく救はれた」
 引用文中にあるやうに、「外来の思想による日本の国難」、押し寄せてきた外来思想の激浪を、天皇陛下や指導層が、どうすれば日本を守れるかと一途な努力を重ねた末に、「教育勅語」によつて敢然とはねのけたわけです。
 欧米による精神の植民地国に陥りかねない危機に直面してゐたわが国の混沌たる事態を眼前にして、日本国民を真に日本国民たらしめるには、日本の風土と歴史が培つた固有の精神、固有の文化に基づかなければならないとの信念のもと、この勅語が下賜されたのでした。まさしく教育勅語こそ、「われらは日本国民である」との自覚と自負を促すための、わが国の「独立自尊」の大宣言だつたと表現できませう。 
(つづく)

 

 

 

《風簷詠懷》 たはやすく

 

 [忼槪傷懷賦] 維新   

 

たはやすく革命ないひそ維新てふ日本的放伐われ等なさむを

 

 

 

《風簷詠懷》 風凪げば  

 

  [晨風夕影賦 畑燒き   

 

風凪げば枯れ草を燒くかたくなに畑這ふ蔓は子に切らしめぬ

 

 

 

《風簷詠懷》 莢ときに

 

  [晨風夕影賦 落花生   

 

莢(さや)ときにかく大ぶりと思ひきや茹で落花生を賜(た)びて魂消(たまぎ)る

 

 

 

《風簷詠懷》 雪はらふ

 

  [晨風夕影賦] 庭   

 

雪はらふ夜もありにしを楠の芽のふふむさ庭に春うごくなれ

 

 

 

教育勅語の現代的意義 (2)

 

 一、教育勅語渙発の背景(承前)

 

 この鹿鳴館時代の最盛期、明治十九年十月、明治天皇が東京帝国大学を視察され、大学各科の設備や授業をご覧になつた際、「法・理・工・医等には進歩が見られるが、最も大切な修身の教育には不備がある」と嘆かれ、「国として急ぎ精神面にすぐれた人物の養成に打ちこまねばならない」との思ひを改めて痛感されます。このやうな推移のなかで、明治二十三年二月に開かれた地方長官会議が直接の引き鉄となりました。
 その時、当時の教育界の実情を訴へた岩手県知事の発言をご紹介しますと、
 「文部省には米国留学の連中が学士会といふのを作つて、極端な西洋かぶれの説を主張し、『米国では五倫(父子・君臣・夫婦・長幼・朋友)などいふものはない。また五倫などいふものは、道徳としてほとんど価値がない。強ひていへば、五倫のうち、朋友の信ぐらゐが採るべきもので、他は顧みるに足らぬ。また君臣の義などといふことも全く不自然きはまるものである』としきりに唱へて居る。こんな空気が地方に蔓延し、学校教員なども、これに雷同するのですから、大変である。そこで文部省の方針を探つてみると、米国帰りの学士が跋扈して、何から何まで彼らの意向によつて定まる。文部大臣は彼らの傀儡の如しといふさまである」
 この会議が、天皇御みづからが教育目的を御裁定になるのが望ましいとの満場一致で決定をみた建議書を政府に提出することになりました。

 これを受けて、明治天皇親臨の閣議で、学童の音読するに見合ふ徳育の基準となる文章が相応しいとの意見に一致し、天皇は文部大臣に起草をご下命になります。紆余曲折あつて、結局、法制局長官だつた井上毅が起草者に選ばれて筆を執るのですが、彼が意を用ゐたのは以下の二点でした。
 当時、前年二月に発布された帝国憲法があり、その条項にも、第二十八条「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス」、また第二十九条「日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス」と見えるにも照らして、わが国は立憲政体をとつてをり、君主が国民の心の領域、良心の自由にまでは立ち至らない、干渉もしない、ゆゑに一般の詔勅とはおのづから異なつて、教育勅語は天皇の著作物のやうに取り扱ふ方針を前提としたこと。
 第二に、一視同仁といふ言葉があるやうに、天皇は公平無私にして不偏不党、特定の政治や宗教、哲学、学問を超越してその圏外に立たれてゐるお方である点に十二分に配慮したこと。
 そのさまを一言でもつて表現せよとならば、明治天皇御製の、
  あさみどりすみわたりたる大空の広きをおのが心ともがな
 といつたことになるかと思ひます。さやう意義ある勅語でなければならぬわけであります。
 かうして出来上がつた井上の草案に政府が検討を加へ、先の侍講元田永孚らの意見をも参考にし、明治天皇御みづからも精力的に勅語完成への努力をご傾注になり、明治二十三年十月三十日の発布ぎりぎりまで修正が続けられたのです。
 勅語渙発は文部大臣への下賜の形をもつてなされました。政務上の詔勅には必ずあるべき国務大臣全員の副署がなかつたのは、この勅語が、まつたく政治関係を離れ、明治天皇が親しく国民の一人一人に対してお呼びかけになつた純精神的意義を有するからです。つまり、国民の心からの理解と共感を求められた精神生活上の勅語であるといふことができるのです。 
(つづく)

 

 

 

《風簷詠懷》 つぎつぎと

 

 [忼槪傷懷賦] ジャスミン革命   

 

つぎつぎと首領(かしら)たふせる耶悉茗(ジャスミン)の佳香はや薫れ四百餘洲に

 

 

 

プラグインの説明
このテンプレートは、プラグイン1・2・3に対応しています。

最上部のメニューバーがプラグイン1です。マウスオーバーで展開するメニューになっていますので、お好みでプラグインを設定してください。「HOME」のような普通のリンクも置けます。

←のエリアがプラグイン2です。有効範囲幅は180pxです。

このエリアがプラグイン3です。有効範囲幅は540pxです。
サイズの大きなプラグインに適しています。

★テンプレート名で検索すると、作者のブログにより詳しい説明があるかも知れませんし、無いかも知れません。