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森田忠明事務所

Author:森田忠明事務所
「玉鉾書院」(志士遺文・和漢古典等の学舎)を運営。機関誌「季刊ゐしんぴあ」発行。また「日本歌壇」(定例歌会毎月開催、会報「日本歌壇」)、「國民行動」(在野有志活動網 機関誌「國民行動」 、國風講座(國民行動主催)、「玉鉾奉仕団」(皇居勤労奉仕団体)、「大詔奉戴祭」「天長節を祝ふ会」の事務局担任。nippon@plum.plala.or.jp  http://ishinpeer.jp(準備中)
(写真=北岳より望見する富士)

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獨酌舒嘯

森田忠明事務所 【社稷廓清 草莽崛起】
2010年03月の記事

獨適賦 その6

あるときは南蛮辛子ひしぎたる指もて触りし面腫れあがる
 

あるときは模様替へせる部屋ぬちにもだしゐるさへこころ和める
 

あるときは長旅をすと寢もやらず差しあたるふみ書きふけるかな
 

 

 

 

知徳を磨く

 孔子が、入門を願ひ出た男にその理由を訊ねたところ、男はいふ。
 「あなたの参内なさるお姿を拝見し、いかにも厳かで輝かしく感じたものですから」
 聞くや否や、孔子は弟子に命じ、その男に自分の乗り物や装束、金銀、財物のたぐひを与へさせ、
  汝、我に帰するにあらず。
 お前は私に就いて真剣に学問に志す意志がない、風采や所持品など皮相な物に憧れてゐるだけだ、と断じて弟子入りを許さなかつた。むろん礼を重んずる孔子は、参内にあたつても身分にかなふ車や服装を用ゐてゐたに過ぎない。
 また、藤原道長の長子で宇治の平等院を建てた関白頼道が、ある日、平服を着て自邸の庭園を逍遙し、湯殿に近づいた。警備の役人がその非礼を咎めて追ひ出す。頼道が次に衣冠束帯で現はれると、それと知つて大そう畏まり、頼道の入浴中、竿の先に掛けられた装束に向かつて拝跪しつづけた。
 頼道は役人の様子を見て長嘆息する。
 「我、人に貴ばるるも我が徳にあらず。ただこの装束の故なり」
 私が人に尊敬されるのは自分に徳があるからではない、ただこの厳めしい服装のゆゑである、と。
 外見あるいは地位や身分だけで人を評価するのは小人のすることだ。逆に、ある人がその地位に見合ふだけの識見なり徳性なりを具備するかといへば、これは案外疑はしいといふべきであらう。疑はしいとの表現が性急なら、むつかしいもの。むつかしいのを、ないもの強請りするのはぜんたい世の常なのであるから、一般に人は、また地位身分ある人はことさら、大いに修養に努め、不断に知徳を磨いてゐなければならないことになる。

 この「知徳を磨く」といふのが、分かつてゐさうで、簡単なやうで、じつは生涯かけても至難のわざなのである。

 

 

 

 

獨適賦 その5

あるときはおもはざるひと門(かど)敲(たた)き是非なく書をとぢてよそほふ
 

あるときはあるじ顏すと丹波米てづから炊(かし)ぎどぶろくを釀(か)む

あるときはまな子をそへて川堤い行きもとほり鴨つがふ見す

 

 

 

獨適賦 その4

あるときは小筆を握りつらねゆく文字あきたらず憾む來しかた
 

あるときは山と風との饗筵(きやうえん)とおもほゆるまで冬ざれに醉ふ
 

あるときは日ごとしましを雪月花まもる慣(な)らしに離(さか)るせはしさ

 

 

 

副島種臣による奴隷解放

 明治の初め頃、国際的には奴隷禁止の原則がすでに公認されているはずの時代でした。けれどもそれは表面の法的形式のみのことで、アジアにおいてはマカオを中心に公然と奴隷貿易が行われており、毎年数千ないし数万人の奴隷が売買されていました。
 明治五年(一八七二)のこと、横浜港に寄港中の南米ペルーの商船マリア・ルーズ号の船内に、二百三十一人の中国人奴隷が監禁されていて、その中の一人が、船中での残忍な虐待にたまりかね、夜の海に飛び込んで脱走し、救いを求めてきました。時の外務卿は副島種臣で、これを断固裁判をもって解決しようとしました。
 政府の中には外国を恐れて「触らぬ神にたたりなしだ、見て見ぬふりが一番いい」という人がいたり、横浜在留の外国領事たちの中にも「日本に白人の外国船長を裁判する権限はない」とか、「日本政府の越権は許せない」などと主張する者がいたりして、解決は非常に難航しました。しかし副島種臣は強硬に、しかも慎重に対処し、奴隷船の船長を裁判にかけて中国人奴隷を解放してしまったのです。
 この強硬手段で奴隷が解放されることによって、奴隷船の横行がなくなり、ついにアジアの公然たる奴隷市場を解消させるという輝かしい仕事をすることができたのです。そこには、アジアに進出してきた欧米の非道残虐な侵略の圧力に対抗して、祖国の独立を守り、アジアを防衛しようという毅然たる精神がありました。

 

 

 

嘯風雑記 4

■二宮尊徳曰く、
 「極貧なる時は、勤心発して終に富貴に至る。極富なる時は、驕奢発して終に貧賎に帰るなり」
 と。世にいふ「金持の子供はだらしない」との言ひ回しの尊徳版である。「極貧」「富貴」「極富」「貧賎」等、物質とりわけ金銭にからむ直截的な物の言ひやうはあまり好かぬけれど、断定は禁物ながら往往にしてしかりであるのは、古来の歴史に照らして明らかなところ。
 購入するには高価に過ぎるオランダ語辞書を、若き勝海舟が人から借り受け徹宵して筆写したなぞといふ話、また西郷南洲の、これは必ずしも貧困とはかかはらないが、「幾たびか辛酸を歴て志始めて堅し」といつた話は、すでに昔物語になつてしまつたのだらうか。

 いや、さやうなことはあるまい。時代相応に、人それぞれに発奮の契機ないし機会がなくては、個個人の努力、向上、飛躍、発展は望めない。かかる意味においては、代議士二世、三世の立候補制限を講ずるなぞ労力の無駄遣ひ、もつといへば人間の成長への期待を裏切る行為にほかならぬ、弊害の屋上、人間不信といふ屋を重ねてしまふ、まこと僭越なる仕業だと唾棄するのである。
 

 

 

          

嘯風雑記 3

■「学者になる学問は容易なるも、無学になる学問は困難なり」。

 勝海舟の言葉で、なかなかに含蓄がある。世人は学者にならぬまでも、いはゆる学問に打ち込んで該博な知識に醉ひ、えてしてそれを誇らうとする。まだ「教養」には至らない。一見無学とおぼしき人にして、たうてい頭のあがりさうにない重厚な仁に出くはすことがある。強ひて知識はひけらかさず、教養を積むに相当の修養を怠らなかつたこと自体をもつゆ感知させぬていの人物だ。驕らず怯まず昼行灯ふうなのがほほゑましい。それでゐて事に臨んでは即決果断、凡人の追随を許さない。宮澤賢治ぢやないけれど、「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」が、望んでなりうるものであるか、どうか。

 

■何で読んだか思ひ出せないが、最近眼を通したなかに、かやうな記事があつた。蒸気機関車牽引の汽車に乗つてゐる筆者の前に、それは向かひ合つて二人づつ坐る車輌だが、田舎びとらしい素朴と映る母子があつた。母子といつても母は高齢、娘も二十歳を過ぎてゐたらう。蒸す車内で母が自然なやうすで筆者へ叮嚀に口を開いた。

 「あのー、窓を少し開けてもよろしうございますか?」

 筆者は「どうぞ」と答へたさうだが、感想として大要、「その言葉、そのしぐさに、何気なく流露する深い教養といふものを感じて心がほのぼのとなつた」と。「これが真の教養だ」と言つてゐるわけで、かかる教養なるものとしこたま乖離し、むしろその逆を行く昨今の風潮を呪ふがふうな筆致であつた。「教養」こそ現代人の課題でなくて何であらう。

 

 

 

 

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