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森田忠明事務所

Author:森田忠明事務所
「玉鉾書院」(志士遺文・和漢古典等の学舎)を運営。機関誌「季刊ゐしんぴあ」発行。また「日本歌壇」(定例歌会毎月開催、会報「日本歌壇」)、「國民行動」(在野有志活動網 機関誌「國民行動」 、國風講座(國民行動主催)、「玉鉾奉仕団」(皇居勤労奉仕団体)、「大詔奉戴祭」「天長節を祝ふ会」の事務局担任。nippon@plum.plala.or.jp  http://ishinpeer.jp(準備中)
(写真=北岳より望見する富士)

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獨酌舒嘯

森田忠明事務所 【社稷廓清 草莽崛起】
2009年12月の記事

書評 『シナ人とは何か―内田良平の「支那観」を読む』

 評者 堤 堯氏   「WILL」2010年1月号より転載 原文は現代仮名遣ひ

 

 「支那は将来、どのやうな方向へ進むのか。誰もが抱く近年最大の疑問だ。この疑問を解き明かさないでは、わが国は軍事・外交において手の打ちやうがない」
 百年前に書かれた内田良平『支那観』の書き出し(現代読訳)だ。以下、内用はシナ文明を概観し、シナとは何か、シナ人とは何かを論じ、政府の支那政策に警鐘を鳴らした。この警鐘は今日に通じる。
 内田はシナ人を次のやうに見る。①何事も金銭万能②平気でウソをつく③恩を恩とも思はない④事実を平然と改変する⑤約束を守らない⑥自己の利益のみに執着する⑦縁故主義③職権で私腹を肥やす⑨常に敵の分断・陰謀を策す……。
 教科書、靖国、毒入りギヨーザ事件をみても、内田の観察はいまだに当を得てゐる。
 それでゐて内田は頭出満、宮崎滔天らと「中国革命」を支援した。日本に亡命した孫文を匿ひ、再起の資金を工面した。内田の家で「中国同盟会は結成された。
 ところが彼らはことごとく孫文に裏切られる。「五族協和」を意図した彼らに対して、孫文は漢民族による「満蒙疆回」の同化策を打ち出した。新疆ウイグルやチベットの強権支配はこれに淵源する。
 孫文の後継者・蔣介石は日本を支那事変のドロ沼へと引き込み、日米の離反を策した。さきの大戦で日本が苦汁を舐めた一因は、シナの何たるかを知らず、対支那政策を誤つたからだともいへる。
 前車の轍を踏むな――それが本書の狙ひだ。内田の原文を全文収録し、こなれた現代語訳で読ませる。内田の語りは漢籍、小説にも通じて博引傍証、実に面白い。シナを論じるだけではない。これをめぐる西欧列強の動きを醒めた目で観察する。
 内田が主宰した黒龍会は、BLACK DRAGON SOCIETYとして怖れられた。しかし結社の主旨は、西欧列強の収奪に喘ぐアジアの救出にあつた。インドや中国の革命運動を支援し、パリ講和会議では、「人種差別撤廃法案」を提案させた。
 アメリカ大統領ウィルソンは策を用ゐてこれを潰した。自国の黒人差別を撤廃するわけにいかなかつた。しかしこの「大提案」はその後の世界の一大潮流となつた。戦後、占領軍はいち早く黒龍会の解散を命じた。その思想を怖れたからだ。
 ところで編者によれば、本書は表題の「シナ人」を理由に諸紙の書評からシャットアウトされたといふ。
 「支那」の呼称は弘法大師・空海が伝へた。唐の仏僧が自国を「支那」と呼んでゐたからだ。
 以来、孫文も「支那」の呼称を使つた。日本の敗戦後、蔣介石がこれを使ふなと強要した。以来、公文書、教科書、新聞から「支那」が消えた。
 ――日本には「使ふな」と言ひながら、蔣介石も毛沢東も国内では「支那」の呼称を許してゐる。つまり東夷・日本にだけは「中国」と呼ばせ、華夷秩序を復興したい、それゆゑの「言葉狩り」だ。
 国際会議の名称はCHINΛ(支那)だ。これを使ふのに何の遠慮も要らない。シナ人をシナ人と呼べないやうなら、またぞろその本質を見失ひ、前車の轍を踏むことになる。
 目下、東アジア共同体を唱へ、モミ手で対中接近を図る鳩山首相には、是非にも読ませたい。

 

【執筆陣】
 池田 一貴  小田内陽太
 片瀬  裕  高木 桂蔵
 田中 秀雄  永山 英樹
 福永  武  宮崎 正弘
 森田 忠明

 

展転社刊 1995円(税込)

 

 

 

皇位の無窮を念じて

 天皇陛下の御即位より満二十年といふ節目の年を迎へてゐる。すでに諸方で奉祝行事相次ぎ、国民によるこの慶賀の念は平成二年に即位の礼が行はれたと同じ十一月十二日、首都での記念式典をもつて最高潮に達する。
 今上陛下には、先帝崩御を受けて、ただちに登極。第百二十五代、平成の御代の天皇として立ち給うた。
 かの平成二年、皇居宮殿における即位礼正殿の儀当日、黄櫨染御袍を召されて高御座に御上りになつた御姿を映像に拝しては、万葉集中、大伴家持作る長歌の文言、「高御座天の日嗣とすめろきの神の命のきこしめす国」を、感激に震へながら想起したのだつた。
 御即位を内外に宣明し給うた際、
 「御父昭和天皇の六十余年にわたる御在位の間、いかなるときも、国民と苦楽を共にされた御心を心として、常に国民の幸福を願ひつつ」
 かかる仰せに、あまりに尊い大御心にふれゐるおのれを思うて感きはまつたことである。新帝は、皇位の継承すなはち、伝統的一貫性を有する上御一人の仁慈の御精神を意志的に承け継ぎ、これの発揚に全身全霊を投じて邁進する旨、誓はれたものと拝察する。
 今上陛下御在位二十年の歳月に、御誓約どほりの大いなる御跡が刻まれてゐる。その最重儀の宮中祭祀を通じて日日、国安かれ民安かれと祈られるとともに、陛下御みづから仰せになつた、
 「障害者や高齢者、災害を受けた人々、あるいは社会や人々のために尽してゐる人々に心を寄せていくこと」
 これを「大切な務め」としての各地へのあまた行幸は、「大御宝」と懇ろに接しては民生の安定向上に砕かれる御心の在処を物語りやまない。
 ことのほか、戦歿者の慰霊に注がれる御熱意が、大悲願のごとくに伝はりきて一布衣の胸を打つ。大東亜戦争の激戦地、沖縄県や硫黄島サイパン島へ赴かれての御胸中は、大御歌に如実である。敵に劇甚なる打撃を与へて玉砕した硫黄島では、
  精根を込め戦ひし人未だ地下に眠りて島は悲しき
 との耐へがたい感懐を御洩らしになつた。
 皇后陛下も、
  慰霊地は今安らかに水をたたふ如何ばかり君ら水を欲りけむ
 つくづくと往時に思ひを馳せられてゐる。
 バンザイ岬に拝礼されたサイパンでの御詠出、
   御製
  あまたなる命の失せし崖の下海深くして青く澄みたり
   御歌
  いまはとて島果ての崖踏みけりしをみなの足裏思へばかなし
 遙か祖国の永劫を信じつつ散り逝きし幾多の軍民、もつて瞑すべしとの感を催すのはひとり筆者のみではないであらう。
 今上御即位二十年に際して感謝の誠を捧げ、皇后陛下ともども、いよいよ御健やかに渡らせ給ふやう深き祈念を捧げる。かつは皇位継承の危機なほ厳存するこの秋、とこしなへの皇運扶翼を、拙なりに厲志もつて篤く一途に念ずるのである。(十一月十一日記)

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