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森田忠明事務所

Author:森田忠明事務所
「玉鉾書院」(志士遺文・和漢古典等の学舎)を運営。機関誌「季刊ゐしんぴあ」発行。また「日本歌壇」(定例歌会毎月開催、会報「日本歌壇」)、「國民行動」(在野有志活動網 機関誌「國民行動」 、國風講座(國民行動主催)、「玉鉾奉仕団」(皇居勤労奉仕団体)、「大詔奉戴祭」「天長節を祝ふ会」の事務局担任。nippon@plum.plala.or.jp  http://ishinpeer.jp(準備中)
(写真=北岳より望見する富士)

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獨酌舒嘯

森田忠明事務所 【社稷廓清 草莽崛起】
2009年09月の記事

東京裁判と「戦犯」 その11

◆〈「文明の裁き」の正体〉(中)

 

 占領開始後、GHQはすでに、深謀のもと「日本人洗脳計画」を推し進めていました。それは、日本の指導者を裁く東京裁判を法的にも倫理的にも正当と思わしめ、国民に贖罪意識を植えつけることを目的としたものです。この計画に基づき、新聞、雑誌、放送、映画、教育等の分野における巧みな言論統制、情報管理の実施により、国民の敵はかつての「鬼畜米英」から、文明に逆行し侵略や虐殺に加担したとする日本の「軍国主義者」へと仕向けられていきました。
 彼らが吹聴した「文明の裁き」が裁く対象は、その語感からして、たぶんに人智の発達度合にかかわる開明に対置されるところの、未開の「野蛮」と考えられます。では、日本をひと口に野蛮とこきおろすほどに、彼らは開明的であったのか。戦勝の余勢がしからしめる、国際法を人質に取った詭弁でなかったのか。
 たとえば次のような、裁判自体への根本的な疑念に、「文明国」側がまともに反応したという形跡は皆無なのです。
 清瀬一郎弁護人
 「(不戦条約の)本文中に条約に違反した国を処罰するという規定はない。…(検察官は)文明擁護のために裁判をしなければならないと言うが、いわゆる『文明』の中には、条約の尊重、裁判の公正が含まれていないだろうか。…断然この起訴を放棄することが、文明のために望ましい措置であると思う」
 パール判決
 「勝者によって今日与えられた犯罪の定義に従っていわゆる裁判を行うことは、敗戦者を即時殺戮した昔と我々の時代との間に横たわるところの数世紀にわたる文明を抹殺するものである」
 前者では、国際法を尊重せずに裁判を行う不公正が文明に背くと論難を浴びせています。不戦条約を「法」としない後者は、発達を遂げつつある人道観念がただちに反映する有効的国際法に文明の視点をあてています。畢竟するに人間の良心、良識に帰着するでしょうが、自分たちの決定的な戦争犯罪は棚上げにしたまま、連合国があえて裁判形式をこじつけ採用した点にこそ、彼らに、品位の片鱗だにない人面獣心の陰険さがうかがわれるのです。
 陰険といえば、「A級」被告への起訴状伝達が昭和二十一年四月二十九日、それは昭和時代の天長の佳節であり、開廷当日の五月三日は翌年、現行憲法発布の日となり、検察側の論告朗読開始が紀元節である二十三年二月十一日、さらに十二月二十三日の皇太子殿下ご生誕日に七指導者を処刑した点など、周到に準備されたであろうことは否めません。
 ことに死刑執行日が平成の御代の「天皇誕生日」になっていることは、当日を迎える日本国民に複雑な気持ちを抱かせているのです。GHQによる刑死者七人の「灰は捨てられる」との発表、しかも遺骨は実際鉄棒で粉砕して東京湾に捨てるという、文字通り死屍に鞭打った卑劣な行為は、とても尋常な仕業ではありません。
 思うに「文明」とは、本来、正義の理念に裏打ちされ、時代時代の人類の営為の結晶として常に普遍性を秘めた姿勢であらねばならないのです。慈愛との懸隔甚だしく残忍酷薄をもっぱらにする偏頗な西洋の文明なるものは、「道の普く行われること」だと警告した西郷隆盛の文明論とは鋭角に切り結ぶ代物で、文明が原告だとする言挙げがいかほどおこがましいことか、推して知るべしでしょう。
 西郷隆盛の文明論
 「文明とは、道の普く行わるるを賛称せる言にして、官室の荘厳、衣服の美麗、外観の浮華を言うには非ず。世人の唱うる所、何が文明やら、何が野蛮やら、些とも分らぬぞ。…実に文明ならば、未開の国に対しなば、慈愛を本とし、懇々説諭して開明に導くべきに、さは無くして未開蒙昧の国に対する程、むごく残忍の事を致し、己れを利するは野蛮じゃ」
 ところで、日本人の中には、次のように説く論者がいるものです。
 「日本の近代がヨーロッパの『文明』を理念型として追求した以上は、国際法を無視した野蛮な戦争を発動したのであるから、その近代ヨーロッパがつくった国際法に象徴されるところの『文明の裁き』を受けることは、歴史における必然のなりゆきだ」
 文明を、力の論理に立脚する欧米白人秩序の総体と捉えるなら、東京裁判はいうところの「文明の裁き」に違いありません。しかし、それを安直に国際法と直結すれば、国際法なるものは力次第で何とでも変更される危険性を孕むこととなります。国際法とは、その程度に柔なものであったのでしょうか。
 百歩譲って柔なものであるとしましょう。もしそうであるなら日本の裁かれたのは、敗れたことが唯一の原因をなしていることになります。勝てば断罪されず、望むならばの話、むしろ、慈愛あるいは道義といった自前の「文明」を存分に呼号できる側に回れもしたのです。このように言及してはじめて、この論者の理屈は帰結するはずです。(続)
 

 

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東京裁判と「戦犯」 その10

〈「文明の裁き」の正体〉(上)


 連合国が日本の行動を、組織的な残虐行為を平然と遂行したナチス・ドイツの排他独善性向と同一に見立て、戦時指導者を侵略の共同謀議正犯として極刑をもって裁こうとしたのは、いかなる策略に出るものなのでしょうか。
 「A級」被告に指定された開戦時の大蔵大臣賀屋興宣が、「ナチと一緒に、挙国一致、超党派的に侵略計画を立てた」と弾劾されることに、
 「そんなことはない、軍部は突っ走るといい、政治家は困るといい、北だ、南だ、と国内はガタガタで、おかげでろくに計画もできずに戦争になってしまった。それを共同謀議などとは、お恥ずかしいくらいのものだ」
と「恐縮」している事情は記憶に留めておいてよいでしょう。
 この、ろくな計画もなかったという日本に対する執拗なまでの断罪の魂胆をさぐれば――。
 先のチャーチル発言、「(枢軸国は連合国の)審判と慈悲に絶対的に従うこと」からして、日本を二度と欧米諸国に刃向かえぬ劣等国となし、誇りも魂も持ち合わせぬ従属国にせんとする意図が浮かび上がります。その心底には、緒戦のマレー沖海戦で、不沈戦艦を誇ってアジアを睥睨していたプリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスが撃沈されたとの報に接した時、「戦争の全期間を通じて、私はこれ以上に直接的な大きなショックを受けたことはない」と洩らさねばならぬほど、アジアにおける植民地支配体制瓦解の悪夢に苛まれたわだかまりがありもしたでしょう。
 そうした意図の本質を穿てば、マッカーサーの「日本は文明諸国間に地位を占める権利を認められていない」(昭和二十年九月)、米人主席検事キーナンの「裁判の原告は文明」(冒頭陳述)などの恫喝的言辞に見るごとき、「文明」を笠に着た牢乎たる優越意識に気づきます。
 ならば、裁判の過程で幾度となく発せられた「文明」とは、いかようの概念で使用されたものなのでしょうか。(続)

 

 

 

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東京裁判と「戦犯」 その9

〈松井大将の「南京事件」責任論〉(下)
 

 「要するに、所謂『南京掠奪暴行事件』の中には、中国の敗走兵や不逞市民の犯行が相当多量に混在していたことは疑うべからざる事実であり、疑問となるのは、果たしてその何パーセントが中国軍民の犯行で、その何パーセントが日本軍将兵の犯行であったか、の点である。しかるに、当時起こった犯罪行為のすべてを日本軍のなしたものと独断し、従ってその法律的責任を全部日本軍に負担させようとするのは偏頗な論である、と言わざるを得ない。
 しからば、何故にこのように中国軍民と日本軍との双方が犯した犯罪行為に対して、あたかも日本軍のみが犯したように謂われ、日本軍のみがその責任を問われるのであろうか、は要するに巧妙かつ誇大な宣伝の結果である。由来中国人は宣伝上手であり、かつその宣伝に動かされやすいのであるが、特に、排日侮日の宣伝は二十数年来絶えず軍官民挙ってこれを行い、その方法は巧妙を極めている。加之排日宣伝の最初は米英の在華学校、協会、病院等の職員によって指導された関係上、この南京における不祥事件についても、日本軍に関する真偽取り混ぜた針小棒大の悪宣伝が、逸早く内外に流布されたのである。
 古人は衆口金を爍かす、一犬虚を吠えて万犬実を伝う、と言っている。憎まれ者に対する悪口は、元は虚言でも真実の如く誤り伝えられる。一人の死体を百人の者が見てその各々が自分も見た、自分も見たと証言するのを、百人の死体があったと誤り計算することも、有り得るのである。
 またこのような戦乱の際には、何人も昂奮して非常な恐怖心に駆られ、群衆心理に動かされ、公平正確な認識をなし難いものである。感情に捉われ、判断を誤り、風評に迷わされるのは普通人の常である。ましてや、二十数年来「仇敵」と呼び、罵詈讒謗を続けた日本軍のために俄に首都を奪われた中国人、およびその中国贔屓の第三国人等が、日本軍に対して猛烈な悪宣伝を執拗に継続するのは当然である。
 かくて、南京陥落当時発生した総ての犯罪行為は、日本軍のみがなしたものであると宣伝され、それが中国全体に、また世界全般に流布され、真実であるかのように国際的に考えられた。中国の夷を以て夷を制する宣伝外交は、見事に効を奏したのである」
 かかるまっとう、かつ懸命な弁論が通用するほどに、東京裁判法廷は何ら公平でもなく正義の味方でもありません。松井大将は判決で、
 「(南京暴虐という)これらの出来事に対する責任を有する軍隊を、彼は指揮していた。これらの出来事を彼は知っていた。彼は自分の軍隊を統制し、南京の不幸な市民を保持する義務を持っていたとともに、その権限を持っていた。この義務の履行を怠ったことについて、彼は犯罪的な責任があると認めなければならない」
と指弾されます。戦時にはつきものの「混乱」を、日本断罪の必要性からナチスと同様の「虐殺」に格上げさせようとする連合国のしたたかな思惑により、「不作為」の罪で有罪となり、絞首刑を執行されたのでした。
 その松井石根は死に臨み、辞世をしたためています。
  天地も人もうらみずひとすぢに無畏を念じて安らけく逝く
  いけにへに尽くる命は惜かれど国に捧げて残りし身なれば
  世の人にのこさばやと思ふ言の葉は自他平等誠の心
 なお、南京占領後の翌昭和十三年年三月、松井大将は軍司令官を退いて帰国し、支那事変前がそうであったように再び予備役となりました。そして十五年二月、静岡県熱海市の伊豆山に興亜観音を建立し、ひたすら日中両国の戦死者の霊を弔う年月を送ります。双方の衝突による犠牲者を、他日アジア諸国が欧米の桎梏から解放され独立を達成する礎と見なす真摯な心から発したものでした。このような人が敗戦を機に「戦犯」として逮捕・訴追され、刑場の露と消えていったのです。
 伊豆山の興亜観音は、今でも当時のまま守られており、参拝者は絶えることがありません。(この項終り)

 

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東京裁判と「戦犯」 その8

〈松井大将の「南京事件」責任論〉(上)

 

 偽証も証拠とするこの裁判には、当然「偽証罪」がありませんでした。日本軍の侵略性や暴虐に触れるものなら、伝聞・憶測・嘘・捏造であろうと何でも構わないというのですから、救いがたい疎漏さです。
 こうした虚構の最大のものは、現在、学校教科書にも書かれている「南京で三十万人以上の大虐殺」という、東京裁判で初めて追及された「事件」です(当時、南京総市民は二十万人以下、軍隊は三万五千~五万。占領完了後、人口は二十五万に増加)。昭和十二年(一九三七)の攻略戦で、中華民国の首都南京を占領した十二月十三日直後から六週間にわたって発生したといわれる「事件」を、阻止できず関係者の処罰を怠ったとして死刑に処されたのが、最高責任者の立場にいた中支那方面軍司令官の松井石根大将でした。
 敗戦直後、アメリカのラジオが、日本軍による捕虜・敗残兵・便衣隊及び一般市民の「大虐殺事件」を放送していると聞いた松井大将は仰天し、すぐさま旧部下にその事実関係を調べさせました。しかし、かつて軍司令官として一層の軍紀維持を厳命した「不祥事件」はあっても、「大量虐殺」はあろうはずがありません。これは、南京占領から実に八年後のことでした。
 この「事件」の検察側証人は、南京在住の米人の大学教授や牧師、中国陸軍軍医その他でしたが、本人の出廷しない二十通近い口述書、また南京の検察官による調査報告書等が書証として提出され受理されています。すべて、日本兵が働いたという地獄図絵を見るような殺戮行為と暴行の数々を証言しているものの、たとえば出廷した南京アメリカ教会牧師マギーが直接目撃していた現行犯はわずか四件だけで、他は伝聞証言に過ぎませんでした。あとも皆、似たり寄ったりの極端な誇張と想像、つまり嘘で塗り固められています。
 南京問題については幾多の研究書が公刊されていて、教科書記述やマスコミの論調とは逆に、さまざまな直接・間接証拠から「大虐殺はなかった」というのが定説化しています。ここでは諸家の分析の紹介に代えて、東京裁判渦中における弁護側最終弁論のうち松井石根被告に関してなされた弁論を見るほうがより適切と思われますので、以下に抜粋しておきます。
 「大将は南京攻略を全軍に伝えるに際し、『南京は中国の首都であり、これが攻略は世界的事件である故、慎重に研究して日本の名誉を一層発揮し、中国民衆の信頼を増すようにせよ。特に、敵軍と雖も抗戦意思を失った者および一般官民に対しては寛容慈悲の態度を取り、これを宣撫愛護せよ』と命じ、飯沼上海派遣軍参謀長等は直ちにこれを部下将兵に伝えた」
 「松井大将は南京攻略に際し予め投降勧告文を与え、また、各種の重要な文化施設および中山陵、明孝陵等の古蹟の保存、外国権益の尊重、秩序回復の促進、一般民衆の宣撫等について、十二分の措置を講じた。特に軍紀風紀の粛正保持については、しばしば隷下の将兵に厳重な訓戒を与え、惹起された損害はこれを賠償し、犯罪者に対しては厳重な処罰を命じたのである」
 「中国の南京守備軍が大将の平和的接収の申し出に応ぜず頑強に抵抗したため激戦が展開され、一般人婦女子にも相当多数の死傷者を出したことは已むを得ない。これをも日本軍の犯罪行為と言うのは不当である。尚、中国には所謂便衣隊なるものがあって、敗残兵は平服を着、密かに日本軍に近づいてこれを狙撃する。日本軍はこの便衣隊の襲撃に上海戦以来非常に悩まされていたのであるが、南京戦闘の興奮と混乱した状態により、中国人に対する猜疑不安の念に駆られ、一般人を便衣隊と誤認速断してこれを殺傷したことも、若干あったと想像される。しかし、これは元より散発的に発生した不祥事であり、これを計画的かつ残忍な鏖殺と言うのは不当である。
 「掠奪については、由来中国では戦乱の際敗軍の将兵は軍服を脱ぎ捨て、一般人の服装を掠奪してこれを着、あるいは便衣隊となり、あるいは逃亡に便ならしめる慣習がある。現に南京陥落の際も多数の中国兵は軍服を路上に脱ぎ捨て、その替りに一般人より常民服を掠奪着用したのであり、その際一般人を殺傷するに至ったものもあったのであり、このことは、在華米国領事館よりのワシントンに宛てた公報にも記載されている」(続)
 

 

 

 

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