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森田忠明事務所

Author:森田忠明事務所
「玉鉾書院」(志士遺文・和漢古典等の学舎)を運営。機関誌「季刊ゐしんぴあ」発行。また「日本歌壇」(定例歌会毎月開催、会報「日本歌壇」)、「國民行動」(在野有志活動網 機関誌「國民行動」 、國風講座(國民行動主催)、「玉鉾奉仕団」(皇居勤労奉仕団体)、「大詔奉戴祭」「天長節を祝ふ会」の事務局担任。nippon@plum.plala.or.jp  http://ishinpeer.jp(準備中)
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獨酌舒嘯

森田忠明事務所 【社稷廓清 草莽崛起】
2009年08月の記事

東京裁判と「戦犯」 その7

〈裁判は通過儀礼〉

 

 かくして昭和二十一年五月三日、日本の重要戦争犯罪人として逮捕していた多くの容疑者の中より二十八人を選んで起訴し、米、英、仏、ソ、中華民国、豪、加、蘭、ニュージーランド及び印、比の十一ヵ国の判事団のもと、「A級」被告を裁く東京裁判は開廷しました(「準A級」の容疑者も逮捕されています)。
 まさに「復讐の欲望を満たすため、法律的手段を踏んでいるかのように」偽装し、そうして「正義の観念に合致しない」(パール判決)ところの、二ヵ年半にわたる憎悪と詐術と虚偽で充ち満ちた杜撰きわまる審議を続行し、同二十三年十一月十二日、二十八名の被告中、東條英機(元首相・陸軍大将)、広田弘毅(元首相・唯一の文民)、松井石根(陸軍大将)、板垣征四郎(陸軍大将)、木村兵太郎(陸軍大将)、土肥原賢二(陸軍大将)、武藤章(陸軍中将)の七人に絞首刑を宣告し、翌月師走二十三日未明、死刑を執行しました。他の被告は、終身刑十六名、有期禁錮刑二十年一名・七年一名、獄中で病死二名、病気のため訴追免除一名でした。
 裁判の過程を憎悪、虚偽、杜撰と表現しましたが、当初より極刑を腹蔵して被告らを無理やり犯罪者に仕立てることに躍起となり、弁護側証拠資料は多くを却下して恣意的に検察側証拠を採用し、論理をこじつけ偽証も採用するなどという審理過程であってみれば、これは到底、裁判とは称し得ません。そもそも国際法上の正当性を欠くのですから、連合国側にすれば戦後支配に向けた一つの通過儀礼でしかなかったのです。法的な辻棲を合わせようと齷齪する醜さばかりが目立つのも、しごく当然の成り行きでした。
 「戦犯」に問われたのは「A級」、「準A級」ばかりではありません。交戦法規・慣例違反行為の命令者あるいは責任ある立場にいた者がB級、直接手を下した者がC級とされて、米、英、豪、仏、中華民国、比、蘭の七ヵ国がおのおのの法により、横浜ほか上海、南京、マニラ、サイゴン、ラングーン、シンガポールインドネシアなど内外五十ヵ所の軍事法廷で裁かれました。
 五千七百人にのぼる「BC級戦犯」のほとんどの起訴理由に「ハーグ陸戦法規第四十六条違反」が記されていました。してみれば、この条に掲げる占領地住民の、
 「家ノ名誉及権利、個人ノ生命、私有財産並ニ宗教ノ信仰及其ノ遵行ハ、之ヲ尊重スベシ。私有財産ハ、之ヲ没収スルコトヲ得ズ」
との、いわば抽象的な表現が、「ビンタ一つが十年の懲役、三つなら三十年」といわれるほどの報復刑を用意したのは疑えません。被告席に坐らされた大半が、さしたる証拠もないままに、事実誤認、歪曲、讒言等によって、また、まったく身におぼえのない行為までをも追及されて断罪されました。刑死と獄死合わせて千六十八人と記録されています。
 そのほかにも中国共産党とソ連による裁判があり(一説に前者は三千五百名処刑、後者は三千名処刑)、ソ連の不法連行もありました。ポツダム宣言の「各自ノ家庭ニ復帰シ平和的且生産的ノ生活ヲ営ムノ機会ヲ得シメラルベシ」という条件が、とても「完全急速かつ忠実に遵守されるようあらゆる必要な処置」(ミズーリ艦上におけるマッカーサー演説)がとられるどころではなかったのです。

 

 

 

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東京裁判と「戦犯」 その6

〈裁判管轄権論争〉(下)
 

  もう一点、法廷で日本語に同時通訳されなかったうちの、米人弁護人ブレークニー陸軍少佐の発言を見ておきましょう。その内容を広く日本国民が把握するまでには、それから何と四十年ちかい歳月を必要としたものです。最後の部分を引用します。
 「何の罪科で、いかなる証拠で、戦争による殺人が違反なのか。原爆を投下した者がいる! この投下を計画し、その実行を命じ、これを黙認した者がいる! その者たちが裁いているのだ!」
 広島、長崎への原爆攻撃は、無辜多数を無遠慮に殺す恐ろしい兵器という情緒的判断だけで排斥されるものではありません。戦時国際法を完全に蹂躙する、「不必要に残虐な兵器の使用」による「軍事目標以外の攻撃」を行い、無数の「非戦闘員の殺傷」を伴ったからです。ブレークニー弁護人の指摘は、糊塗し得ない正真正銘の「犯罪人」が裁く側に立つ東京裁判とはいったい何なのか、資格があろうはずがない、との論旨でした。
 おのれの罪は隠蔽し、敗者のみを予想外の名目で裁こうとするこの裁判の「史上最悪の偽善」(GHQ参謀第二部長ウィロビーの発言)に、同時期の米英の学者や将軍たちでさえ驚きを隠せず、むしろ憤りを発する者の多くあったことも知っておかねばなりません。
  ウィロビー発言要旨(判決後、オランダ代表判事レーリンクに対し)
 「この裁判は史上最悪の偽善だった。こんな裁判が行われたので、息子には軍人になることを禁止するつもりだ。なぜ不信を持ったかと言うと、日本が置かれていた状況と同じ状況に置かれたのなら、アメリカも日本と同様に戦争を遂行したであろうし、その結果敗戦すれば重要な地位にいた軍人が戦争犯罪人として裁かれるのは許しがたいと思うからだ」(続)

 

 

 

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東京裁判と「戦犯」 その5

〈裁判管轄権論争〉(上)

 

 東京裁判が「A級戦犯」を裁くに至る経緯が次第に明らかになってきたところで、裁判管轄権をめぐる弁護団の動議、裁判所の本判決、パール判決、の三者の見解を簡潔に整理しておきましょう。裁判が合法的に成り立つか否かの根本を問う重要案件です。
 裁判の開廷劈頭、弁護側は裁判所の管轄権に開する動議を提出、その弁論を行いました。それは、
 ①「平和に対する罪」を裁判する権能を有しない。
 ②パリ不戦条約は戦争を犯罪としていない。
 ③国家行為の戦争で個人的責任は問い得ない。
 ④裁判所条例の規定は事後法で不法である。
 ⑤裁きうるのは通常の戦争法規違反のみである。
等、七項目にわたります。有効国際法の規定に照らして事後法である裁判所条例の無効、従って裁判そのものの無効を鋭く迫ったものでしたが、著名な反日家の裁判長ウエッブはたんに「理由は将来宣言する」と言い置き、すべてを却下します。しかし裁判所が右弁護側動議却下の理由を発表したのは、驚くべきことに二年半後の判決公判開始当日だったのです。
 大要、以下のようでした。
 「国際法の範囲内で定められた裁判所条例に基づく当裁判所は、日本が遂行した国家の政策の手段としての戦争(侵略戦争)は不戦条約が犯罪としているから、これを裁きうる」
 法解釈を歪曲する、ニベもしゃしゃりもない独断ではありませんか。まことに、一審・控訴なしの不当裁判を、決して無効にしない奸智には長けていたのです。
 パール判決はどうでしょう。論理の筋を通して明解に言及した管轄権問題の要点は、
 「裁判所条例といえども必ず国際法下に制限されるゆえに事後法にはあたらず、日本の過去の諸行為に犯罪を認めうる場合にのみ裁くという趣旨であり、条例中の罪名もその内容を定義していない。国際法を駆使して考察すれば、戦争終了時期まではいかなる戦争も犯罪ではなく、侵略戦争という概念もなかった」
 裁判主導者の思惑とは無関係に、国際法に違わぬ審理を期そうとした判事による、多数判決を真っ向から否定する痛烈な見解でした。もって、この裁判の欺瞞性を看取しうる好個の材料といえるのです。(続)

 

 

 

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東京裁判と「戦犯」 その4

〈新規「戦犯」の創出〉(下)


 国際法を知る誰しもが驚愕するこうした犯罪概念の創出・導入は、連合国による戦後日本の従属化画策と無縁ではなかったのです。自分たちの「審判と慈悲に絶対的に従う」(昭和二十年六月のチャーチル発言)政権を日本に樹立することを目的とする以上、それを不法を承知で推進するには従来の政治システムを崩壊させるばかりか、その残滓をも余さず除去して体質を変えねばなりません。価値観を根底から顚倒せしめて徹底的に弱体化させるための長期占領と執拗なプロパガンダを必要とするのです。
 事実、わが国は「停戦のための条件」を意味するポツダム宣言を受諾し、その後の九月二日、アメリカ戦艦ミズーリ艦上において、
 「一切ノ軍隊ノ連合国ニ対スル無条件降伏」
を約し、
 「『ポツダム』宣言ノ条項ヲ誠実ニ履行スルコト」
という降伏条件を確認(いうところの「降伏文書」調印)した日本国の「条件付き降伏」を、マッカーサーを総帥とするGHQはただちに曲げて、「国家」の「無条件降伏」といいくるめました。わが国を、「何をされても異議をさしはさめない」状態に置いたのです。
 それを口実に、終局的には国柄を変質させるための神道指令の発出、日本侵略国論の鼓吹、検閲、「戦犯」裁判、新憲法強制、祝祭日の改変その他一連の占領政策を強行し、かつ正当化したのです。先述した大東亜戦争の呼称禁止措置も、アメリカの憎悪を根幹とする軍政の餌食となったものでした。GHQによる「日本民族が再び立ち上がれないようにするため」の施策が、アメリカ本国の意向を忠実に反映したものであったのはいうまでもないことです。
 ハーグ条約の第四十三条、
 「国ノ権力ガ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ、占領者ハ絶対的ノ支障ナキ限リ、占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルベク公共ノ秩序及生活ヲ恢復確保スル為、施シ得ベキ一切ノ手段ヲ尽スベシ」
 これを、GHQが「戦犯」裁判所設置の合法根拠としたとは、唖然たらざるを得ないではありませんか。パール判事をして「(かりそめにもこの条文を)牽強附会し、歪曲する用意はない」と言い放たしめています。対日占領行政にかかわる重要な一条と認識しておくべきものでしょう。
 主題からいささか逸れますが、ハーグ条約第四十三条を普通に読めば、これは「占領地の法律の尊重に関する条項」です。GHQが、大日本帝国憲法を「改正」して日本国憲法を成立(実は新制定)させたのは、この条項をみごとに裏切ったものとしかいいようがありません。
 また帝国憲法第七十五条には次のような規定があります。
 「憲法皇室典範ハ摂政ヲ置クノ間之ヲ変更スルコトヲ得ス」
 摂政とは、天皇に代わって政務を行う官のことで、天皇が帝国憲法上の務めを完璧になし得ない重大かつ非常の事態下に設けられるものです。昭和二十年九月二日のいわゆる「降伏文書」には、
 「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ、本降伏条項ヲ実施スル為、適当ト認ムル措置ヲ執ル連合国最高司令官ノ制限ノ下ニ置カルルモノトス」
とあって、「連合国最高司令官」たるマッカーサーが、「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限」を事実上「制限」している被占領時代は、摂政を置く時にもまさる非常時に当然あたるはずです。この期間になされた「帝国憲法」「皇室典範」の「変更」は、その内容の良し悪しを問わず、明らかに第七十五条の違反行為であり、その違反の産物は本来無効であると断定できるわけです。
 ハーグ条約と大日本帝国憲法が禁じていることを武断的に、しかも日本弱体化に沿う案文を示して法文化を強制し日本国憲法たらしめた不法行為は、プライドある国民は決して許容しないはずです。(続)

 

 

 

 

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東京裁判と「戦犯」 その3

◆〈新規「戦犯」の創出〉(上)

 

 連合国は第二次大戦が進む過程で、会談や宣言を通じ、枢軸国の戦争犯罪人を裁判にかけて処罰するとの声明を重ねて発し続けました。そしてドイツ降伏後の昭和二十年八月初旬、「欧州枢軸諸国の重要戦争犯罪人の訴追及び処罰に関する協定」(ロンドン協定)で形を整えます。米英仏ソ四ヵ国代表が調印したロンドン協定に基づく「国際軍事裁判所条例(ニュルンベルク条例)」も同時に起草されました。従来の法規・慣例に違反した戦争犯罪人のほかに、「平和」や「人道」に対する罪という国際法上先例なき「戦犯」概念の創出により、戦敗国ドイツの戦時指導者を裁こうというものです。但し、あまた存在する連合国の犯罪行為には一顧だにしておりません。
 新規概念の設定とはいいながら、連合国四ヵ国のみによる勝手な申し合わせであって、純然たる国際法として確立したわけではない点、特に錯覚は禁物です。こうしてその年の秋、ニュルンベルク裁判が始まりました。
 さて、日本が受諾したポツダム宣言には、
 「吾等ノ俘虜ヲ虐待セル者ヲ含ム一切ノ戦争犯罪人ニ対シテハ厳重ナル処罰(justice=裁判)ヲ加エラルベシ」
との文言があります。本来「戦争犯罪人」とは、先に見た交戦法規・慣例に違反した者であったはずですが、日本はやがて、犯罪概念がニュルンベルク条例を踏襲したものであることに気づかされます。
 GHQは、「重要戦争犯罪人を公正に審理し処罰する」と喧伝して東京裁判を開始するのですが、裁判所設置にあたって発布した「裁判所条例」には、裁判管轄権を持つ犯罪の中に、従来国際的に認知されていた通常の戦争犯罪のほか、対ドイツ裁判に倣って、新たに「平和ニ対スル罪」及び「人道ニ対スル罪」を含ませるという挙に出たのです。これは明らかに、罪刑法定主義・法の不遡及の原則に背馳すること甚だしく、戦勝国側の底意を秘めた謀計以外の何ものでもありませんでした。
 条例と起訴状の訴因によれば、「平和ニ対スル罪」とは、「侵略戦争」を「計画準備」「開始」「遂行」し、またこれを「共同謀議」した罪で、それに該当する個人を「A級戦犯」としました。自己解釈によれば自衛であった戦争の態様を、戦勝の勢いをもって一も二もなく侵略と断じ、敗者のみを裁こうとするのはパリ不戦条約の歪曲に相当し、まさしく戦争そのものを否定するにひとしい自己矛盾にほかなりません。繰り返しますが、当時も今も戦争そのものは犯罪ではないのです。しかもその戦争を巧妙に仕組んだ者の勝者としての奢り、実にここにきわまっています。
 また「人道ニ対スル罪」を、一般人民に対してなされた非人道的行為としていますが、そのように表現する罪も従来の国際法にあったわけではありません。その中身を吟味すれば、それまでの交戦法規・慣例に規定される「違反行為」が包含しているものです。このため、起訴状に記載された「通例ノ戦争犯罪及人道ニ対スル罪」の「人道ニ対スル罪」のほうは、さすがに東京裁判判決においては適用されませんでした。それにしても、いわゆる事後法を設けて何が何でも日本の指導者を裁こうとする魂胆が如実に露呈した罪名であることに変わりはありません。(続)

 

 

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東京裁判と「戦犯」 その2

〈昔も今も「戦争は合法」〉
 

 「国家の戦争権」が具体的には開戦権と交戦権として行使される時、平時では禁じられている殺傷・破壊等の諸行為が戦争遂行のために合法化される反面、戦時国際法(法規・慣例)の細目遵守の義務が課されます。
 たとえば、非戦闘員の殺傷、軍事目標以外の攻撃、不必要に残虐な兵器の使用、略奪、捕虜虐待、占領地の法律改変などが禁止され、捕らえられた違反者は戦時中に限り処罰されるのです。戦争が合法であるからこそ、このような戦闘上の違法行為を設定し、交戦法規・慣例が法的な歯止めをかけているわけです。
 大東亜戦争当時でいえば、戦闘行為を規制する国際取り決めには、明治三十二年(一八九九)にオランダのハーグで採択され、同四十年(一九〇七)に改定、調印された「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約」ならびに「同規則」、「海戦ニ於ケル捕獲行為ノ制限ニ関スル条約」、またジュネーブ条約と呼ばれる昭和四年(一九二九)調印の、戦地軍隊における傷病者の状態改善についての「赤十字条約」、俘虜の待遇にまつわる「俘虜条約」等が挙げられます。
 戦争のありようが検討されたのは、第一次大戦の教訓を経た昭和三年(一九二八)、パリで調印(日本は翌年批准)された不戦条約、「戦争抛棄ニ関スル一般条約」においてでした。
 この条約は、それまで伝統的に合法であった戦争を、
 ①不当な動機を有して他国に仕掛ける侵略戦争(war of aggression 「攻撃戦争」または「侵攻戦争」の訳語が妥当)
 ②他国の不当な攻撃に反攻する自衛戦争(war of self-defense)
の二つに区別し、前者①の違法化を試みたものです。すなわち、
 第一条
 「締約国ハ、国際紛争解決ノ為戦争ニ訴ウルコトヲ非トシ、且其ノ相互関係ニ於テ、国家ノ政策ノ手段トシテノ戦争ヲ抛棄スルコトヲ其ノ各自ノ人民ノ名ニ於テ厳粛ニ宣言ス。
 (締約国は、国際紛争の解決のために戦争に訴えることを不法とし、かつ、その相互の関係において、国家的政策の手段としての戦争を放棄することを、それぞれの人民の名において厳粛に宣言する)
 こう謳いあげたものの、放棄するとした「侵略戦争」の範囲が未定義である以上、侵略か自衛かの判断はもっぱら当該国の自己解釈権に委ねる旨、提案者の米国国務長官ケロッグみずから明白に承認している事実を確認しておく必要があります。なぜなら、東京裁判が日本の戦争行為を断罪する法的根拠を、この不戦条約に大きく求めたからなのです。
 同裁判で多数判決に反対したインドパール判事が、少数判決の個別意見書を提出して日本の被告全員の無罪を主張したことは先に触れました。その中でパリ不戦条約に関し、「ある規定の解釈が当事国の意志次第による場合、それは『法律』とは称し得ない」とし、同条約を「法の範疇」から除外しているのは注目に値します。
 不戦条約成立以降、大東亜戦争に至る間、戦争の勝者が戦敗国の戦争行動を国際犯罪とし、その指導者の個人責任を問い、これを処罰しうるなぞという解釈は国際社会では全然なされていず、また、できるものでもありませんでした。
 いま仮に、公平無私の局外中立者が客観的に見たとして、たとえある一国の戦争行為が侵略的要素を含もうとも、その国は必ずや自国防衛の一定の正義の名分を持つでしょうから、不戦条約に確実に抵触するとは断ずることなどできないのです。まして、何ら侵略の定義も制裁条項もない上は、戦勝国が戦敗国の行為を国際犯罪として裁判に付そうとするのは尊大かつ越権、ばかりか、これこそが正しい意味での国際犯罪を構成するに相違ありません。国内法と次元を異にする国際法の運用とは、元来こういうものなのです。
 従って国際法の観点からは、不戦条約以後も自衛戦争と侵略戦争との間の区別はなく、しかも不法行為か否かを峻別する基準がないのですから、戦争を発動した国家あるいは指導者を裁くということも不可能事に属したはずです。パリ不戦条約の試みは、ついに失敗に終ったというべきでしょう。
 ただ、戦争責任を追及しようとした唯一の例外としては、不戦条約をさかのぼる第一次大戦終結後、連合国がヴェルサイユ講和条約に刑罰規定を設け、ドイツ皇帝ウィルヘルム二世を戦争犯罪人としてではなく、国際道義を蹂躙したとのかどで国際裁判にかけようとしたことです。これは法の不遡及の大原則に背反する行為だとして大論争が巻き起こりましたが、同皇帝の中立国オランダヘの亡命と、オランダの頑強な引き渡し拒否により頓挫しています。
 大東亜戦争開戦時、日本の立場は「開戦の詔勅」にあるように、
 「帝国ハ今ヤ自存自衛ノ為決然起ッテ一切ノ障碍ヲ破砕スルノ外ナキナリ」

であって、国際法が許容する開戦に突き進みました。それが、「終戦の詔勅」に見える、
 「交戦已ニ四歳ヲ閲シ、…戦局必スシモ好転セス、世界ノ大勢亦我ニ利アラス」
という経過を辿って昭和二十年八月十四日、ポツダム宣言受諾のやむなきに至ります。戦争権を行使した自存自衛の戦いを雄々しく展開した末、一敗地に塗れました。それはそれで、残念ながら武運が拙かったわけで、致し方ありませんでした。
 戦争が「合法的制度」であるのは戦後とて一貫して変わりません。最近では湾岸戦争やアフガン戦争、それにイラク戦争の多国籍軍が代表するように、すべての戦争が「合法的」に行われています。朝鮮戦争ベトナム戦争、ソ連のアフガニスタン侵攻、中越戦争、イギリスアルゼンチン両国間のフォークランド(マルビナス島)戦争、ロシアと旧ソ連の諸共和国との武力紛争等々、一方を厳密に侵略国と断定することなど、第三者のどこの国であれ、したくてもできないのです。
 昭和四十九年(一九七四)の国連総会決議が、「侵略」なるものを「国家による他国の主権、領域保全または政治的独立に対する、もしくは国際連合憲章と両立しないその他の方法による、武力の行使」と定義してはいます。にもかかわらず、安保理常任理事国の思惑に強引に左右され、侵略認定は現在なお困難をきわめているのが実態です。国連国際法委員会の専門家がいかに知恵を絞ったとしても、今後ともおそらく諸国家の全面的な賛同を得るような、解釈や有効性について一点の疑義もなき恒久的な定義は、留保の条件なしには成立しないと予想されるのです。(続)
 

 

 

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「東京文武館」館員募集

このたび、東京において、愛国と憂国の思ひを抱懐する人士(老若男女を問はず)の真剣な学びの場を設け、名を「東京文武館」と命名、創設の運びとなつた。真正国士の養成を目的とする。

「文」の師範は森田忠明。月2回、国史なかんづく詔勅や志士遺文を中心に教授する。

「武」の師範は奈良彰久。月2回、戸山抜刀術を教授する。

いづれも1年コース。1コース24単位のうち20単位、併せて最低40単位以上を取得(出席)して終了となる。希望者は継続も可。

近々詳細を本欄にて発表するが、「武」はすでに7月より始まつてゐる。教室は港区青山の道場。「文」の教室は新宿御苑近くの「御苑倶楽部」。

問合せは、090ー8580-0030 森田忠明まで。

東京裁判と「戦犯」 その1

〈東京裁判史観とは何か〉
 

 戦後、わが国には「東京裁判史観」と称するものが、まるで幽霊のようにさまよっています。
 この「東京裁判史観」なるもの、ひと口にいうならば、敵国の軍事占領という戦争の継続下に断行された「極東国際軍事裁判」(昭和二十一年五月~二十三年十一月)、通称東京裁判の下した一方的日本断罪判決をそっくり根拠とし、日本人自身が自国を悪逆無道を繰り返した下劣な、最悪の国家と見なす歴史の見方、考え方、捉え方を指します。
 つまりは、国際法遵守を装いながら連合国軍最高司令部(GHQ)司令官マッカーサーが発出した「裁判所条例」(同二十一年一月)なる占領行政命令に基づき、戦勝者側の理屈を正義とし、わが国昭和期における敗戦までの対外関係をめぐるあらゆる営為を容赦なく悪と断じた東京裁判の「歴史の偽造」を、戦後この方無批判のまま受け容れて疑わない奴隷根性、また自虐精神、と言い換えてもよいでしょう。そればかりか、満州事変以降はいうに及ばず日清、日露の役にもさかのぼり、果ては国の歩みそのものまでをも悪罵し否定しようとする風潮が、半世紀以上にもわたり社会にみなぎっているのです。
 こと大東亜戦争についていえば、わが国には、それを無類の侵略戦争と錯覚するのみならず、いかなる原因が介在するものであれ戦争自体を罪悪視する傾向、換言すれば、「平和、平和」と唱えておりさえすれば自然と平和がもたらされるとの妄想が抜きがたく蔓延しています。占領軍に調教され、名誉をかなぐり捨てたところへ投げ与えられた有毒の餌を押し戴いているのが現状です。
 「ないほうがよいに決まっている」戦争ではありますが、実は国際法は久しく合法的制度と認めてきました。主権国家が等し並に有する権利の行使としての戦争が、「特定の法的状態」を意味するものであることを知る人は意外と少ないのではないでしょうか。(続)

 

 

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8・15靖國神社でのビラ配布に結集を!

祖国存立の根幹問題に取り組んでいる全国的在野活動網「国民行動」では、去る8月4日、霞ヶ関の官庁街でビラ配りを行なつたが、来る8月15日の終戦記念日にも下記の要領で靖國神社前にてビラ(4頁建て機関誌「国民行動」8月15日発行第106号)を配布し、祖国の危機と覚醒・革正の要を訴える。同憂の士の参加を求めたい。

 

日 時  8月15日(終戦記念日)午前9時集合 正午前まで。

場 所  地下鉄九段下の靖國神社側出口を出て、東京理科大を通り過ぎて大鳥居に向かつた信号の手前。出口より歩30秒。

連絡先  090-8580-0030 森田忠明

「集団的自衛権」行使の原理

躊躇つづく解釈変更
 

 「集団的自衛権」に関する政府見解、「自国と密接な関係にある外国への武力攻撃を、自国が直接攻撃されていないにもかかわらず、実力で阻止できる権利」。これは国連憲章第51条で規定された自衛権の範疇に入る。
 実際行動においては、大まかに二種類に分類される。
 ①日米安保との関連で第三国による米国本土・米軍(艦船を含む)攻撃にあたっては自衛隊が防護行動を取る。
 ②国連平和維持活動(PKO)で他国軍への攻撃に対する反撃のための武器使用、また共通の目的で活動する多国籍軍への後方支援。
 従来の日本政府の解釈は、「日本は国際法上、集団的自衛権を保有するが、憲法九条の『国際紛争を解決する手段としては武力の行使を永久に放棄する』との規定により、その行使が認められていない」とする。
 この自衛権、実は首相の判断次第、その一言により解釈を変更しうる。しかし昨年6月、福田首相時に有識者会議「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」が集団的自衛権行使容認に向けて従来の憲法解釈の変更を求める最終報告書を提出したにも拘らず、福田もその後の麻生も見直しに踏み切れず、「お蔵入り」状態に。野党の反対を危惧したのではなく、北京の顔色を窺ったのである。
 親中の福田はさもあれ、麻生すらも踏み切れなかったところへ、去る7月29日、「安全保障と防衛力に関する懇談会」がまたもや報告書をまとめ、如上の集団的自衛権の行使を提起。片や自民の公約は対米ミサイル迎撃を単に「安然保障上の手当てを行う」と逡巡の色が見え、具体性に欠ける。
 

祖国安泰のために
 

 単刀直入に断言しよう。自公を似非保守と見なし民主党と同じ穴の狢と認識する我らにして、下野が確実視される現内閣に強力に勧告する、「ただちに集団的自衛権行使の旗幟を鮮明にせよ」と。
 直接の動機はほかでもない、政権交代か否かのみが争点と化して下劣この上なき今次総選挙に、新規高等の論点という新風を注いで真っ当な政策論争を待望する義憤に出る。与野党を問わず、腐臭芬々たる党名と骨柄の代名詞でもない氏名の連呼には食傷して久しいものがある。与党はこの際、下品ならざる争点の明確化に勇を鼓して打って出よ。野党は真摯なる反論をもって世に問え。
 もとより我らは自主防衛、純然たる自力による国防を冀う。だが、かの占領軍を日米安保に見合う駐留軍と認めて以来、わが国は自衛隊を保有するとは言い条、精神的にも装備上も、また法制においても日陰の存在に陥すに甘んじ、自国の防衛を主として米軍に依拠するとの悪しき慣習に馴染んでいる。講和条約の発効した昭和27年の独立回復後、現在に至る60年にも垂んとする長期に亙り、祖国をこの手に護らんとする気概を喪失する怯懦に溺れてきたのだ。
 自力国防を心底から希求こそすれ、現時点では絵に描いた餅。片務条約たる日米安保を克服するには自前の並々ならぬ叡智と努力を要するこというまでもない。勇ましく両国対等を叫ぶは勝手ながら、彼我の戦略観念に雲泥の差を生じ、この空白を埋める時間は気長に待つことを容赦しない。戦後政治は「天は自ら助くる者を助く」の箴言を忘却の彼方に打遣って顧みず、現に防衛政策は党利党略に手籠めにされる痛々しさではないか。
 領土は盗られたまま、あまた同胞の拉致には打つ手なく、東支那海は波高く暗雲ただならぬ。近隣独裁国家からの核の脅威を減殺するには、わが政治外交はあまりにも敵に靡きすぎている。かかる現況よりすれば米国との同盟の意義の再確認、集団的自衛権行使の方途が喫緊の課題として浮上せざるを得ない。
 確乎たる国軍創設による祖国安泰が最終目標である。その日のためにも自衛隊はいま、あらゆる危険事態に対処する経験を積むべく、多国籍軍加担にもPKO派遣にも掃海、給油、海賊退治等にも怯むなく海外に赴くがよい。米国の傭兵あるいは下働きとの中傷にたじろぐ暇なんぞ、さらさらないであろう。これらに関連して憲法の改正また至急性を帯びていること、指摘するまでもあるまい。
 全政党、枝葉末節の舌戦には時を惜しめ。集団的自衛権行使への憲法解釈変更は祖国を将来に亙って富岳の安きに置かんとするための、ほんの第一歩であることを銘肝せよ。(国民行動)

 

 

 

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