HOME プロフィール

森田忠明事務所

Author:森田忠明事務所
「玉鉾書院」(志士遺文・和漢古典等の学舎)を運営。機関誌「季刊ゐしんぴあ」発行。また「日本歌壇」(定例歌会毎月開催、会報「日本歌壇」)、「國民行動」(在野有志活動網 機関誌「國民行動」 、國風講座(國民行動主催)、「玉鉾奉仕団」(皇居勤労奉仕団体)、「大詔奉戴祭」「天長節を祝ふ会」の事務局担任。nippon@plum.plala.or.jp  http://ishinpeer.jp(準備中)
(写真=北岳より望見する富士)

最新記事 最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ カテゴリ

獨酌舒嘯

森田忠明事務所 【社稷廓清 草莽崛起】
2008年11月の記事

自縄自縛

 

 細川護熙首相は平成5年(1993)8月、首相就任の記者会見において、「先の戦争をどう認識してゐるか」との質問に、
 「私個人としては侵略戦争だつた、間違つた戦争だつたと思ふ」
と答へ、国会における所信表明演説でも、
 「わが国の侵略行為や植民地支配などが、多くの人々に堪へ難い苦しみと悲しみをもたらした」
 と述べてゐる。日本の首相が、国政の場で「日本を侵略国」と断定したのは、中曾根首相に次ぐ暴挙だつた。
 続いて2年後の平成7年6月、衆議院本会議で採択された「歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議」(戦後五十年国会決議)はいふ、
 「本院は、戦後五十年にあたり、全世界の戦没者及び戦争等による犠牲者に対し、追悼の誠を捧げる。また、世界の近代史上における数々の植民地支配や侵略的行為に思ひをいたし、我が国が過去に行つたかうした行為や他国民とくにアジアの諸国民に与へた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する」
 同年8月、閣議決定を経て発表された村山富市首相による『戦後五十周年の終戦記念日にあたつて』と題する談話(いはゆる「村山談話」)もまた、かの東京裁判史観にみごと蝕まれてゐる。その中の文言、
 「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によつて、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害を与へました。私は未来に過ち無からしめんとするが故に、疑ふべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明します」
 一方的に「国策を誤つた」「日本は侵略国」と決めつけるこの「村山談話」、実はその後の歴代内閣すべてが踏襲を言明してこんにちに及んでゐる。後世の政治家が、5、60年前の国際環境や時代背景や価値観やらをすつぽり脱落させたあげく、祖国の危機に直面した先人が懊悩の末に懸命に取り組んだ行為の重さを、己れの身に、己れの心に真摯に引き寄せることなく、いとも簡単に「歴史を裁く」といふ倨傲の行為に走るのは、同じ日本人としても、また人間としても、まつたく許容の範囲外に属することである。
 かういふ部類の人らは、かつて祖国が背負つた運命的な立場には徹底的ともいへる冷酷な眼差しを向けた上、なぜかアメリカによる原爆投下を容認し、欧米列強が遂行した数百年にわたる植民地支配にも何ら言及できないありさまで、それでゐて現在、アメリカ北朝鮮以外の国々に対しては核爆弾保有に関する非難の矛先を向けられないでゐる。矛盾に満ちた歴史解釈に基づく「村山談話」が、心ある人びとから「国家の自縄自縛」「自虐史観」といつた批判に晒され、怨嗟の的となつてゐるのも当然のことわりだ。

 しかもこの談話が、日本人自身の思想信条を縛ること、つい最近でも航空幕僚長の所論を断罪し、防衛大臣指示による防衛監察に乗り出させる等、あるまじき言論統制の癌と化してゐるのは目に余るものがある。わが国再生のためにも、自縛自縛さうして圧政のくびきたる村山談話を即刻葬り去るのが、現今の日本人に課せられた急務である!

教育勅語余聞

 明治23年(1890)に渙発された教育勅語について、欧米の大統領や大学教授、文学者など識者による評価には大きなものがあつた。ことに日露戦争における一小国日本の勝利の原因を探つた彼らが、国民教育の基礎をなす勅語にあると知つた時、賛嘆は最高潮に達してゐる。それらは、新聞や博士らの著作に載り、談話でも発表された、
 「我々は先進国だとうぬぼれてゐた。しかしとつくの昔に忘れてしまつてゐた大切なことを教育勅語が思ひ出させてくれた」
 「教育勅語は、新日本の教育に関する永遠不朽の基礎をなすものである」
 「教育勅語の根本基調は、道徳的徳性にとつて価値あるものだつた」
 「日本人は偉大な民族が作り出した、最も高貴な道徳体系の一つの型を発達させてゐる」
 「明治時代の大公文書(勅語)は(略)先帝陛下(明治天皇)のお考へとご心情から出てきたものである。そのうちとくに重要なものが三つある。維新の(五箇条の)誓文、及び憲法、そして教育勅語である。中でも教育勅語は、その文体においても内容においても、実に世界における千載不磨の文学に属す、といつていいであらう」

 等々の賛辞に見ても明らかだ。
 イギリスのオックスフォード大学からは、
 「教育勅語を英訳し、適当な人物を派遣してぜひ講演をしていただきたい」
 と桂太郎内閣に申し込んできたので、明治39年(1906)、元文部大臣の菊池大麓が渡英して十数回にわたる講演を行ひ、多大の感銘を与へてゐる。
 その他、明治43年ロシアの文豪トルストイが元の同志社大学長に「教育勅語をぜひ見たいので、ご帰国のあかつきには必ずお送り下さい」と念入りに依頼したこと、第2次大戦後の西ドイツのアデナウアー首相が自室に勅語の独訳文を掲げてドイツ復興の指導綱領としたこと、現在もアメリカダラス大学学長室にその複製が飾られてゐること、等が伝へられてゐる。勅語に盛られた道徳が人倫一般の普遍的真理であると見なされ、かつて「万有引力の法則の如く不変の徳目」と評されたゆゑんがわかるといふものだ。
 世界に通用するといふことでは、日露戦争当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズヴェルトが新渡戸稲造の著作『武士道』を読んだ時の感想にもうかがふことができる。同著は、若き新渡戸がいだいた「太平洋の橋になりたい」といふ志の一つの帰結だつた。ルーズヴェルトはかういふのである。
 「『武士道』は最もよく日本人民の精神を写し得てゐる。予はこの書を読んで始めて日本国民の徳性を知悉することが出来た。そこで書店に命じて30部を購求し、友人に頒布して閲読させ、また自分の5人の子供に各々1部を配布して、日常この書を熟読し、日本人のやうに高尚優美な性格と誠実・剛毅な精神とを涵養するやうに申付けた」
 教育勅語は「日本人はかうありたいものだ」、『武士道』は「武士道とはかくのごときもの」との観点で書かれたのだつたが、同時に中外に施して悖らずの信念が勅語にはもちろん『武士道』にもあつたのである。信念のままに、その価値観があまねく世界の国々や諸民族に示しても何ら遜色なく、かへつて人間のあるべき姿勢にほかならないと尊敬の念をもつて歓迎されたことに、私たちはもつと自信を深めてしかるべきであらう。

山崎闇斎の「日本」

 江戸前期、京都で学塾を開き門弟数千人といはれた山崎闇斎の逸話が、『先哲叢談』といふ書物に載せられてゐる。
 闇斎が、居並ぶ弟子たちに譬へ話をもつて、かう訊ねた。
 「方今、彼の邦、孔子を以て大将と為し、孟子を副将と為し、騎数万を率ゐ、来りて我が邦を攻めば、則ち吾党孔孟の道を学ぶ者、之れを如何と為す」
 (もし今、隣国が孔子を総大将に、孟子を副大将にして、数万の軍勢を率ゐて日本に攻め込んできたとするなら、諸君ら孔孟の道を学ぶ者としては、いつたいどうすればよいと考へるかな)
 その頃は儒書中心に学ぶ時代で、学徒にとつて孔子や孟子は尊崇措くあたはざる大先生である。それは致し方ないにしても、驚いたことに学界の風潮としては江戸初期以来、藤原惺窩が、
 「常に中華の風を慕ひ、其の文物を見んと欲す」
 ひたむきに焦がれたかと思へば、林羅山が、
 「中華に降生して有徳有才の人と講習討論せざるは遺憾なり」
 大そう残念がつたり、あるいは足を西(中国)に向けて寝るのは勿体ないと真面目に恐縮し、あるいは日本語をもつて中国標準語の方言と見なす者たちもゐるなどの、笑ふに笑へない本末転倒の精神が一般的だつたのだ。だから、孔孟の率ゐる侵略軍の来襲にいかに対処するのかを、
 「小子為す所を知らず。願はくは其の説を聞かん」
 即断しかねた塾生らが先生に教はらうとしたのも無理からぬ試問だつたであらう。闇斎は答へていつた。
 「不幸にして若し此の厄に逢はば、則ち吾党、身に堅を被り、手に鋭を執り、之れと一戦して孔孟を擒にし、以て国恩に報ず。此れ即ち孔孟の道なり」
 (残念なことに、もしそのやうな災難に立ち至つたならば、君たち日本人たる者、丈夫な鎧・兜に身を固め、鋭い剣を引つ提げて国土を侵す異国人を敢然と迎撃し、孔子孟子をふん縛つて、要するに斬り殺して国恩に報いるのだ。これこそが孔孟の教へるところである)
 どれだけ博学多識にならうとも内と外、自国と他国を峻別する見識がなくては所詮無意味であるとの謂ひにほかならない。闇斎はむしろ、学問をする価値はここにこそあるのだと弟子たちに教へたのだつた。

以前の「玉鉾書院HP」以来の再録となつたことをお断りします。

烏滸の世

ものいへば唇さむき更迭にこぞりなびける烏滸の世にをる
統幕のをさも鋭声(とごゑ)に法の隙つきてあへなく辞(さ)りにけらずや
空幕長その地位にして世に問へる書たんたんと将来(さき)をあやぶむ
あつぱれのみくに思ひの大文字なにぞやましき読めば泣かゆも
魂消(ぎ)らしもとなさわげる台閣に具眼の士なき国のかなしみ
痴(をこ)さらし歴史を枉ぐる僭上を堰(せ)かでいづくにつとめ果たさむ

 

参考日本は侵略国家であったのか」空幕長・田母神俊雄
  http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf

 

 

プラグインの説明
このテンプレートは、プラグイン1・2・3に対応しています。

最上部のメニューバーがプラグイン1です。マウスオーバーで展開するメニューになっていますので、お好みでプラグインを設定してください。「HOME」のような普通のリンクも置けます。

←のエリアがプラグイン2です。有効範囲幅は180pxです。

このエリアがプラグイン3です。有効範囲幅は540pxです。
サイズの大きなプラグインに適しています。

★テンプレート名で検索すると、作者のブログにより詳しい説明があるかも知れませんし、無いかも知れません。