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森田忠明事務所

Author:森田忠明事務所
「玉鉾書院」(志士遺文・和漢古典等の学舎)を運営。機関誌「季刊ゐしんぴあ」発行。また「日本歌壇」(定例歌会毎月開催、会報「日本歌壇」)、「國民行動」(在野有志活動網 機関誌「國民行動」 、國風講座(國民行動主催)、「玉鉾奉仕団」(皇居勤労奉仕団体)、「大詔奉戴祭」「天長節を祝ふ会」の事務局担任。nippon@plum.plala.or.jp  http://ishinpeer.jp(準備中)
(写真=北岳より望見する富士)

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獨酌舒嘯

森田忠明事務所 【社稷廓清 草莽崛起】
随感 カテゴリーの記事

□燈火親しむべし

 
       燈火親しむべし
 
          
 
「冊子を披繙すれば、嘉言林の如く、躍躍として人に迫る。顧ふに人読まず。即し読むとも行はず。苟くも読みて之を行はば、則ち千万世と雖も得て尽す可からず」(士規七則)
 佳き書物を読み、深く感銘を受けては当然感奮興起する。であれば自分なりにさやうのことどもを侃侃如(かんかんじよ)、地に行ふのが道理である。
 歴史の遺したあまた嘉言どほり、ことごと行動に移しゆくには、一期はあまりに短い。心いかに昂揚したとて、おのれ自身に豹変虎変の実をみぬなら、得た知識はそも何だつたのか。懸命にこの世に処した果て、なほ道遠しの徒労感を催すぐらゐでなくては、まだまだ真物でないこととならう。
 何のための読書か。いまさらの再確認は怪訝ながら、問ひつづける価値ありさうな気がする。
「人生は、本以上であり、我等は本を読むだけで、それを自分の血や肉にし、自分の日常生活の内にそれを生かすことが出来なかつたら、我等は本箱に過ぎないのだ。読むのが大事ではなく、生きるのが大事なのである」(実篤「読書に就て」)
 慥かに、どうしたことか筋書や登場人物の発言の面白さに重きを置く傾向が窺へる。「本を読むことを超越する道」は、必ずあらねばならぬ。同時に、本本と本にしがみつかずとも、本無しで在るがまま自在に生命の糧を摂取しうるなら、これまた一つの生き方といふものだらう。
 人、大概は読書を欠かすまい。その意義づけ、いにしへに遡つて賢人を友とする尚友が最も知られてゐようか。ほか、先人さまざまにふれては、真理追求、昂揚、邂逅、慰藉、娯楽、遁世等から始まり、「読んで教へられ、売つて助けられる」といふのまである。読書人は或いは精神的飢渇者に譬へられるかもしれない。何にしても多読して人品卑しく、不読の開き直りと武断的空威張りは顰蹙を買ふ。さうして玩物喪志の文弱に流れては国を亡ぼす。
 感動を与へくれる作者には、作品相応の輝きを俟つ。読者また本無しでは自信が持てぬとの顚倒を克服すべし。まして読書量あるうへは、みごとに生きるはうへ何歩たりと近づくすべを講ぜねば勿体ない。読書目的はこの際、成長に資せんとする個個独特のがあつていいだらう。
 時まさに秋たけなは。燈火稍(やうや)く親しむべく、少なくも「独りともしびのもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざ」(兼好)に身を寄せてあらうぞ。
(10月記)



《風簷詠懷》 いきいきと


 [晨風夕影賦] 誕生日   
いきいきと育みくれしふるさとのなほ染みかへるきよき山川
 
 
 
 

《風簷詠懷》 防彈の


 [晨風夕影賦] 婦警  
防彈のチョッキ重りか若やげる婦警を案じ過ぎがてにして   
 
 
 
 

■ 嘯風雑記

 
■読書中、あつと思ふ記事に出くはすことがままある。それは新情報だつたり、かやうな観点もあるのか、あるいはさういふ意味なのかだつたりする。電車の車中それと知り備忘に心がけたいのにボールペンも附箋も持ち合せないことに気づく。何度か読んで記憶した、はずである。後日その頁を開けようとするが、どこだつたか、どの本であつたか、もしかすると新聞だつたかなテレビだつたかな、なぞと迷ひに迷ふ。どうしてもさがし当てえず、もどかしさが募つて仕方がない。これがしよつちゆうときては、つひに自己不信に陥る。「備忘録」なる小型の帳面も用意してゐるといふに、外出時に鞄に入れることじたいを忘れるとあつては始末に負へない。
 
■一度なんぞ、秀吉が召し抱へてゐた滑稽者の御伽衆またの名は御咄衆について読んだ。その曾呂利新左衛門や里村紹巴の話を自著に紹介しようとしてさがしにさがしたが、何の本だつたかがまるで思ひ出せない。悔し涙を呑んだ。後日、やつと桑田忠親の文庫本であるのが蘇つたものの、そのときはすでに新著が読者の手に渡つてゐた。
 
■『永遠の0』は世に出たころ読んだ。映画化されたがDVDになるのを待つてゐる。本屋に行つて目的の書がなかつた場合、とんぼ返りも勿体ない。そこで先だつて、たまたまながら右おなじ著者による文庫本を買つた。その『幸福な生活』には十五、六頁の短篇が十九篇収められてゐる。二篇まで読んではじめて気がついた。小篇の最終頁が必ず冒頭一行のごく短い言葉で終つてゐ、すべて括弧付きの会話体であると。これが全篇、ドキツとする落ちなのだ。かやうな体裁にするためには最初から字数行数を決めてかからねばなるまい。この本は以前四六判で刊行されたとあるから、異なる判型でもそのままの形で文庫に移し変へたものだらう。四六判を確かめたわけではないが。内容はともかく、その手法にちと唸つた次第である。
 
■毎月第三日曜日の翌日曜に、講師を招いて新宿で「國風講座」なる勉強会を開催中だ。その第一部の「読書百遍」では、みなで共通の文庫ないし新書一冊を読んだ感想を述べ合ふことにしてゐる。九月から十二月までを著者抜きで挙げると、『国際連合という神話』『日本の聖域』 『天皇論─象徴天皇制度と日本の来歴』『今日われ生きてあり』。その選定には要注意。硬すぎでも易しすぎでもない一冊で、当然ためになる本。むろん感謝される本。何よりも選定者が怨まれない本…。

■ 嘯風雑記

 
■広辞苑の偏頗な歴史記述を非難する人がある。これはその通りで、糾弾する本まで出てゐるのはうれしいことだ。しかしたとへば新潮国語辞典と比較すると、広辞苑のはうが引きやすく読みやすく、人物事件語彙が網羅的で便利ときてゐる。ことに歴史的仮名遣ひの載るところが出色である。ところが例外のない規則はないといふ具合に「間違ひも散見される」さうだ。ある知人からの伝聞である。当方、歴史記述の見方以外にはまだ問題点を発見できない。彼、それら誤りを逐一メモした。その帳面の披露に与らなかつたのが惜しまれる。何となれば、すでに幽明相隔ててしまはれたからである。
 
■読破するもろもろの書物のなかの言葉の誤用を調べてゐる友がゐる。僕が彼と同意見なのは、「私淑」の意味の取り違へが最多であること。次が「鼻白む」。私淑は月に一度の割合でお目にかかつてゐる。後者は気後れした顔つきをすることだが、どうも興醒めする意味で使はれてゐるやうだ。気後れとは自信を失つて怯む謂だから、「電車の中で女性が化粧するのを目撃して鼻白んだ」とやればをかしなことになる。
 
■芝居のことにはずぶの素人である。以前歌舞伎や新国劇の鑑賞時、間の手「いよつ、二枚目」とか何とか、観客席からうまい間合ひで声が飛んだのをおぼえてゐる。常連からなのか桜からなのか、いまなほとんとわからない。で、辞書は二枚目を「若い色男の役を勤める俳優」とし、その謂れは「劇場表の看板の二枚目に名が出たから」。一枚目の説明はない。最近初めて三枚目の語に接したので辞書の世話になると、「絵看板の三枚目に絵姿が出た」ところの「滑稽な役をする俳優」らしい。さらに二枚目半といふのもあつて「二枚目の風貌でありながら三枚目の性格をもつ役柄」。と一応意味だけでも知りえた次第。せつかく今生に永く息しながら、なにせ世の中には知らぬことが多すぎる。知つたからとて、どうといふこともなからうが。
 
 
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